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翌朝、頭痛で目を覚ました遥は驚いた。
見慣れない部屋で寝ていたからだ。
「…ここは」
体を起こすと、ズキリと頭が痛んだ。
額に手を当てて痛みが治まるまでじっとする。
ふと、手首の包帯が目に付いた。もう片方の手首にも撒いてある。もしかしてと思い、足首も触ってみると包帯の感触があった。左腕を動かすと肩に痛みが走った。触ってみると湿布めいたものが貼ってあった。
…あの時打ったところか。それにしても、ここはどこだろう。
遥が寝ていたところは和室だった。
制服から浴衣に着替えている…。もちろん自分で着た記憶はない。
たしか…、逃げ出した後、レオさんに連絡して、線路沿いを歩いて…そう…、あの人の車に乗ったんだ。
―篠宮麗子よ。
橘と一緒にいた人だ。
「じゃあここは…」
「目が覚めたかしら?」
スーッと障子が開けられると、トレイに飲み物を持って麗子が入ってきた。
昨日も思ったがとても美人だ、胸元にフリルの付いた白いブラウスに、ワインレッドのロングスカート、長い髪は軽くウェーブがかかっている。
「あの、すいません。ご迷惑を…」
遥は居住いを正し正座した。
「ほんとビックリしたわ。いきなり寝ちゃうんだもの」
クスクスと笑う。
遥の横に座ると、トレイを置き、携帯を渡した。
「何度も同じ人からかかってきてたわ。悪いとは思ったんだけど出させてもらったわ」
「……」
着信履歴を見るとレオからだった。
自宅へ着いたら必ず連絡すると約束していた。おそらく遥から連絡がないことに不安を感じてかけてきたのだろう。
「事情を説明したら安心してたから大丈夫よ。でもあとで連絡してね?」
「はい。ありがとうございます」
遥は溜息を吐いた。
「…それと、その理由を聞いてもいいかしら?」
麗子は遥の手首を指して言った。
「縛られた痕よね?」
遥は手首を押さえて押し黙った。話せば巻き込んでしまう。
それに、もしもこの人に何かあったらあの人が心配するだろう。
黙ったままでいる遥を見て、麗子は息を吐いた。
「もしも、巻き込みたくないと思っているのなら、心配無用よ」
遥は顔を上げる。
「伊達にヤクザの世界にいるわけじゃないわ」
「でも…、橘さんが心配するんじゃ」
「隆也? そうねぇ…確かに心配はするだろうけど、でも、私よりあなたに何かあるほうが怖いわ」
「…どういうことですか?」
分からないという顔をする遥に、麗子は微笑んだ。
そのうちわかるわと言って立ち上がった。
「もうお昼になるけど、何か食べたい物ある?」
昼?
一瞬考えて、サッと血の気が引いた。
ヤバイ! バイト!
「い、いえっ、バイトがありますのでっ」
慌てて、掛けてある制服を取った。
が、ブラウスがないことに気付いた。
「あのっ、ブラウスは…」
焦っている遥を見て麗子は微苦笑した。
「バイトのことなら大丈夫よ。さっき店に行って、休むことを伝えてきたわ」
「え」
なぜバイトがあることを知っているのだろう。
くす。
「なぜって顔をしてるわね、あなたの状態を見ての判断よ。手首に包帯を巻いて行く気? それと、なぜバイトがあることを知っているのか、それは隆也に聞いたのよ」
着替えならそれを着てねと言って、麗子は部屋を出て行った。
「……」
制服を掛け直し、麗子が示した服を手に取った。
ニットの白のワンピース…。
服に着替えて、障子を開けると庭園が広がっていた。
縁側に腰掛けて、ボーっとする。
「…天気がいいな」
バイト、明日は行かないとな。
携帯を取り、電話を掛ける。
「……もしもし、レオさん?」
相手はレオで思ったとおり、安堵の声がしていた。
『遥さん心配しました。お体のほうは大丈夫ですか?』
「はい、大丈夫です。すいません、連絡が出来なくて」
『いえ、事情は篠宮さんから聞きましたから。それでですね…あの、』
後半、歯切れが悪くなるレオ。
「? どうしました?」
『…実はアランの機嫌があまり良くなくてですね』
「今回のことでじゃなくてですか?」
『ええ、篠宮さんと会話してからなんですよ』
「篠宮さんと?」
『それで、遥さんは何か聞いてないでしょうか?』
声からして、かなり困っている様子だけど、
「いえ、私もさっき起きたばかりで…、あの、聞いてみますか?」
『いえいえ、いいですよ。きっと不貞腐れてるだけでしょう』
不貞腐れる? 麗子さんに何か言われたんだろうか。
その後、来週学校で会う約束をして電話を切った。
「……」
本当は何の目的で日本へ来たのかなんて聞く気はなかったけど、敵さんがあたしに目を付けた以上、聞かないわけにはいかないわね。アランたちがどうしても話さない場合は実力行使も考えないと。
それにしても広い庭。…ここもヤクザなんだよねきっと…。
今回はつくづく縁があるよねぇホント。
「…シャツも買わないと、あぁそうだ、部屋の片付けもだ…」
はぁ〜と大きく溜息を吐いた。
そんな様子の遥を離れた場所から見ている二人がいた。
「あらあら、あんなに溜息なんて吐いちゃって」
「…軟禁されていたというのは本当か?」
「本人から聞いたわけじゃないけど、十中八九そうね。ブラウスも破かれていたけど、無事よ」
無事、それが何を指しているのかは聞かなくとも分かった。
「…少し席を外してくれ」
そう言いながら男は遥のもとへ歩いて行った。
近づく男にビックリする遥を見て、麗子は下がった。
近づく足音に顔を向けると、向ってくる人物に驚いた。
「…橘さん」
橘は遥の隣へ座った。
「その傷はどうした?」
前を向いたまま、タバコに火を点けて言った。
「……なんでもありません」
「麗子から話は聞いてる。…お前を拉致軟禁していたのは俺と同業か?」
「……」
「なぜ話さない?」
「…迷惑はかけられません」
俯いて答える遥を見つめる橘。
「誰が迷惑だと言った? 同業なら尚更だ、ここはうちのシマだ」
言っていることは分かる、ここ一帯は橘の白神組が治めている。自分のシマで何かあれば動くのは当然だろう、ヤクザが絡んでいるなら尚更。
たしかに同業は同業だけど…、向こうは手段は選ばない人種だし…一般人も巻き込む…。
黙ったままの遥に橘は言葉を付け加える。
「電話の相手に聞いてもいいんだぞ」
うちのシマを荒らしてくれた礼もあるしなとも言った。
「……」
麗子さんから何を聞いたのだろう、そして麗子さんは何をアランと話したのか。
「…マフィアです」
俯いたまま、ポツリと言った。
「…それでなぜお前が狙われたんだ?」
「それは…、数日前に学校でマフィアの息子、アランと関わりがあって、そのことでどうやらアランと敵対しているマフィアが私に目を付けたみたいで…」
話すと長くなるので簡潔に話す。
「なるほど、イタリアのマフィアの息子が来ていることは知っていたが、こんな身近に繋がりがあったとはな。それで、今回以外には何もなかったのか?」
「……家が、荒らされたのと…、夜中に侵入され…ました」
しどろもどろ答えていくうちに、橘の気配が冷たくなっていくのがわかった。
この間、聞かれたときに何もなかったと言ってしまったから。それが嘘だとバレてしまった…。
「…前に、何もなかったと言ったな?」
「……」
あきらかに機嫌が悪くなっている。
橘は立ち上がると、遥を見下ろした。
「しばらくうちに来い」
「―っ!」
思わぬ言葉に遥は橘を凝視した。
「いいな」
「ちょっ―」
橘は有無を言わせずそのまま奥へ歩いて行った。
ちょっと待ってよ。遥は慌てて橘の後を追った。
「あら、話は終わったの? …機嫌が悪そうね」
戻ってきた橘に麗子が話しかける。
何か気に食わないことでもあったかしら?
「…しばらくうちに泊める」
「あら、うちでもいいのよ?」
「いや。うちに泊める」
「ちょっと待ってください!」
二人の会話に遥が割り込む。
「なんでそうなるんですかっ。そこまでしていただくわけにはいきません! 理由がないです」
また理由かと橘は鼻で笑う。
「そうねぇ…理由はなくはないけれど」
意味ありげに言う麗子に遥は言う。
「同業が絡んでいるからというのは駄目ですよ。私ならもう大丈夫ですから」
「どう大丈夫なんだ? また拉致されない自信でもあるのか?」
「…あります」
問いに遥は真っ直ぐ橘を見つめて言った。
その目には強い意志が宿っていた。
何か確証があるのだろうと橘は思ったが、
「…その自信がどこからくるのか説明できるか?」
「…理由は…」
遥は少し迷った。力のことを言うことに。見せびらかして自慢する気は毛頭ない。
「…信じてもらえないかもしれませんが…」
「なんだ? 言ってみなければ分からないぞ?」
「昨夜、何もされずに逃げ出せたことも関係あるんですけど…」
「そう、私もそれを聞きたいわ。ブラウスは破かれていたけれど」
「…口で説明するより、見てもらったほうが早いですね」
遥は一歩下がり、中庭にある池に手をかざした。
すると、風も吹いていないのにフワリと遥のワンピースと髪が揺れた。それを見た二人はギョッとする。二人は顔を見合わせ、遥が見ている池のほうを向いた。
ユラユラと水面が波打ち始め、徐々に水面が盛り上がり、ポワンと四十センチくらいの水の塊が浮いたのだ。しかもその中には一匹の鯉がいた。
それを見た麗子は口を押さえ、橘も信じがたいものを見るようにその浮遊物を見ていた。
「……」
二人の困惑した、若干の恐怖心が伝わってくる。
ゆっくりと池に戻していく。
「…理由はこれです。昨夜も不届き者をふっ飛ばしました」
と、ニッコリ笑った。
「なので大丈夫です。心配してくれてありがとうございました」
矢継ぎ早に言うと、部屋へ戻り、荷物を持ってくる。
お辞儀をするとそのまま遥は玄関へ向った。
二人は立ち尽くしていたが、ハッとして遥を追いかけた。
麗子の家を出た遥は、自分の家の方角を調べた。制御ピアスをしていないので感覚がクリアになっている。
しばらくはピアスできないなと思う遥だった。
自宅までさほど遠くないことがわかり歩き出す。
遥が玄関を出て自宅へ歩き出した後に二人が玄関に顔を出す。
「…いないわ」
「そう遠くへは行っていないはずだ」
「追うの?」
誰もいない玄関先を見つめてから橘に言った。
「追うのなら、彼女の全てを受け止めたということよ? さっきの力のことを。でなければ彼女は振り向かないわ」
麗子の言葉に、橘は立ち止まる。
「あなたが彼女を気に入っているのは分かるわ。今までいたタイプとは違うものね、でも興味本位ならこれ以上深く関わるのはおよしなさい」
「俺に指図するのか?」
橘のこの言葉に、麗子は当然という顔をする。
「当たり前でしょう。私はあなたの姉なのよ」
私以外に誰があなたに注意できるのかしら。
「……」
橘は麗子に背を向け、出て行った。
「…彼女も災難ねぇ」
まあ、彼女なら私も大歓迎だけど。
麗子は困った顔で誰もいない玄関先を見て呟いた。
革靴にニットのワンピースという変な格好なので、人がいないことを確認しながら遥は走った。手首足首には包帯、余計に怪しい。
どうか誰にも会いませんように。
願いが通じたのかわからないが、家に着くまでは誰にも遭遇することはなかった。そう、家に着くまでは…。