-番外編-

 遥の力を認めて無理やり連れて帰ったあとの、拉致られて登校するまでの二人の様子。




「……」
 あの後、数日分の着替えを急いでまとめてここへ来て部屋へ案内されたのはいいけど…。
「…これは…」
 入った瞬間に思わず唖然としてしまった遥。
 用意されてた部屋は洋室。それは別にいいんだけど、ものの見事に女の子の部屋なのはどうしてだろう…。
 いたるところにぬいぐるみ(主にクマ)があったり、カーテンは薄いピンク、クローゼットの中身を確認すれば女性物の服。なぜかサイズまでピッタリ。
 …あの人が準備させたとは到底思えない。たぶん、麗子さんのような気がする。だってワンピースばかりだし。
 …はぁ…、と溜息を吐いた。
 時計を見るとまだまだまだ時間はたっぷりとある。
 バイトは休んじゃったけど…。
「…やっぱり行こうかな、長袖の制服にすればバレないかな…」
 両手首を見ながらそんなことを呟くと、部屋のドアがノックされた。
「入るぞ」
 声の主は橘だった。
 入ってきた橘の服装は変わらずスーツだ。だがどことなく雰囲気が違う。
 もしかしたら出かけるのだろうか。
「この部屋は好きに使っていい。俺はこれから出かけるが、何かあれば麗子に言え」
「麗子さんいらしてるんですか?」
「ああ」
「……」
 どうしようか、バイトのこと言ったほうがいいのかな。
「…どうした?」
 遥が何か言いよどんでいることに気付いた橘は聞いた。
「いえ、あの…バイトのことなんですけど、夕方からでも行こうかと…」
 橘の目を見て言っていた遥だが、最後のほうは目が泳いでいた。なぜならば、橘の気が冷たくなったから。
 そんなに冷たくならなくてもいいと思うんだけど…。
「麗子が休みの連絡を入れてある」
「それはそうなんですけど…」
「今日はゆっくり休め。それから麗子が用があると言っていたぞ」
 それだけ言うと橘は出て行ってしまった。
「……」
 ポリポリと頬を掻く遥。
「やっぱりよくわからない…」
 バイトくらい平気だと思うんだけど。なぜあそこまで冷たくなるのかよくわからないな。自分も出掛けるんだから気にしなくていいのに、だいいち、あたし一人でここにいるのはちょっと落ち着かないんだけど。まぁ、麗子さんがいるっていうし、会いに行ってみようか。

 部屋を出た遥は麗子を探した。
 が、なかなか見つからない。
 うーん、あまり人の家をうろうろしたくはないんだけど、それにしても広い家。
「何をしている?」
 うろうろと廊下を行き来していると、庭先から声がした。見ると、スーツ姿の男の人が立ってこちらを見ていた。
 ネクタイをせずに第二ボタンまで開けていて、髪はこげ茶で癖があって少し長め。ピアスをしている。顔立ちは悪くない。むしろ手が早そう。
 それが遥の第一印象だった。
 ここにいるということは組員なんだろう。
「…あの、篠宮さんどこにいるかわかりませんか?」
「篠宮? …お前は?」
 男はそう言いながら近づいてきた。必然的に遥が男を見下ろすかたちになってしまう。
「宮城です。今日から数日こちらでお世話になります」
 その言葉で男はああと頷いた。
「君が今度のお気に入りか。若いな」
 揶揄するように言った。
 その言葉に遥は少し嫌な顔をした。
「…お気に入りじゃないと思いますよ。…17です」
 もしかして組員全員に同じように思われてるのだろうか。イヤだな…。
「17? 二代目もやるなぁ」
 男はニヤニヤ笑っている。面白がってるって感じだ。
 遥は溜息を吐いた。
「あのですね、そういうんじゃなくて、成り行きというかただ保護してもらってるだけですよ。それに橘さんには彼女がいるじゃないですか」
「彼女?」
 遥は頷く。
「篠宮麗子さんという方です」
 その言葉で男が笑った。
「ああなるほどね、たしかに知らない奴が見たらそう思うか」
 なおも男は笑う。
「…違うんですか?」
 男は笑いながら、違うと言い、まぁ座れと遥を座らせ自分も隣へ腰掛けた。
「彼女は二代目の姉さんだ」
「お姉さん?」
「ああ、苗字が違うのは分家に嫁いだからだ」
 ああそれであの言葉か、
(伊達にヤクザの世界にいるわけじゃないわ)
 なるほどね。
「そうだったんですか。兄弟揃って美形ですよね」
「君も可愛いよ」
 男はニッコリ笑うと遥の髪に触れた。
「――っ!」
 な、なんだこの男は!
 遥は思わず飛びず去る。
 そんな遥の反応が新鮮だったのか、男の顔が一瞬驚きすぐに笑顔になった。
「可愛い」
 そんな笑顔で言われても困る!
 遥の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
 今時珍しいくらいだなと男は思った。変に染まってなくていい。
「と、ところで篠宮さんはどこですか」
「ああ、さっき篠宮の頭から呼び出されて帰ったぞ」
「え…、帰った?」
「ああ。何か用だったのか?」
「いえ、呼んでるって聞いたので…」
 そうか、帰ったのか…。どうしよう…。
「慌てて出て行ったから、伝言できなかったんだろうな」
「あ、いいんですよそれは、きっと気を使ってくれて声を掛けてくれたんだと思いますから。ただ…」
「ただ?」
 遥は微苦笑した。
「橘さんが戻るまで、ここで一人でいるのはちょっと…」
 できれば外に行きたいんですけどねと言うと、男も微苦笑した。
「悪い。実は表には出さないように言われてる」
「…やっぱり」
 そこまで気にしなくてもいいんだけどな。あちらに力を使うことは別に何とも思わないし。
「もしかして、あなた私の見張り役ですか?」
「まぁ、そうとも言うな。別に表に出なければずっと監視はしないが…」 
 男はいったんそこで言葉を切ると、遥に近寄り、ニヤリと笑った。
「な、なんですか」
「なんなら俺が手伝ってやろうか?」
「て、手伝う?」
 逃げたくても、後ろは壁、両サイドに手を置かれてる状態で逃げ場が無い。
 この男はいったい何なのよ!
「そ、君が大人になる手伝い」
 男は耳に唇を寄せ、甘い声でそう囁いた。
「―-―っっ!!」



―数時間後。
 戻った橘は、遥の靴が無いことに気付いた。
「…十夜を呼べ」
 数分後、頭に包帯を巻いた十夜呼ばれる男が現れた。
 その姿に橘は眉を寄せる。
「その頭はどうした」
「あ〜…、不思議なことに後ろから下駄が飛んできた」
「……なぜ下駄が飛んでくる」
 さぁと、十夜は首を竦める。
「庭には俺たち以外いなかったはずなんですけどね。なぜか飛んできた」
 俺たち…。
「彼女はどうした」
 その言葉に十夜はバツが悪そうに顔をしかめた。
「俺が寝てる間に逃げた」
 寝てる=気絶してる。
「……」
 榊は十夜の言動から推察した。
 彼女といて、他に誰もいないのに下駄が飛んできてコイツの頭にヒット。
 おそらく、下駄を飛ばしたのは彼女だろう。
 橘も同じことを思ったらしく、纏う空気が下がった。
「…お前、何をした?」
「そんな怖い顔するなよ、手は出してないぜ?」
 当たり前だ馬鹿。
 手は出さずとも何か言ったのは間違いない。
 まったく悪びれた様子はない。むしろ
「可愛いなあの子」
 とまで言い出す始末。
 橘は無言で席を立ち、十夜を一瞥すると出て行った。
 榊も次いで出て行く。
 残されたのは十夜一人。
「…ふ〜ん。なるほどねぇ」
 と呟き、ニヤリと笑った。


 一方遥は、下駄を十夜に中てて屋敷を飛び出したあと自宅に戻っていた。
 思わず力を使っちゃったけど、なんなのあの男は! まさか高校生にまで迫ってくるとは…冗談とわかってても心臓に悪い…。違う意味で危険ということねあそこは…。
 と、ブツブツ言いながらリビングでお茶を飲んでいると、インターホンが鳴った。
「……」
 そっとモニターを確認してみると、榊さんが立っていた。
 すると、榊さんがちょっと驚いた顔をしたので、なんだろうと思っていたら。
 ガチャッ。
 玄関の開く音がした。
「……」
 ホントあの人は分からない。はぁ…と溜息を吐いた。
「いるなら出ろ」
「…榊さんもどうぞ」
 応答ボタンを押して話しかけた。
 しかし榊は車の中で待つと言って離れてしまった。
 …まったく…。
「誰もいなかったら不法侵入ですよ、橘さん」
 橘はソファーに座ってしまった。
「何か飲みますか?」
「いや、いい。ところで、十夜に何か言われたか?」
「十夜?」
「庭先で会った男だ」
 ああ、あのエロ魔人。
「…とくに何も…」
「何も無いのに下駄を飛ばしたのか?」
 う…。
「あ、あれは、ちょっとビックリしただけで…」
 しどろもどろになりながらキッチンへ行き、コーヒーをセットした。
「ほんとに他愛も無いことでたいしたことじゃないので気にしなくていいですよ」
 ほぼ棒読みである。
「…そんな棒読みで信じると思うのか?」
 橘は腰を上げ、キッチンへ移動する。
「いえホントにたいしたことじゃないんですよ。私が慣れてないだけですから」
 遥はコーヒーに集中しているせいで、橘が真後ろに来ていること気付かない。
「何を言われた?」
「――っ!」
 ガチャンッ。
 いきなり真後ろから橘の声がし、ビックリしてコーヒーカップを落としてしまった。
 割れたカップを拾おうとしゃがむと、橘もしゃがんだ。
「…びっくりさせないでください…」
 いつもなら気配で人がいることがわかる遥だが、この時ばかりは動揺していたせいで気付かなかった。
「そんなに動揺するようなことを言われたのか?」
 そんな遥にお構いなしに橘は聞いてくる。
「私が慣れてないだけで、お二人にとったらたいしたことじゃないですよ。だから…」
 気にしないでくださいと言おうと思ったら、またも橘の気が冷たくなったから最後まで言えなかった…。
「……」
 な、なんで…。どうして機嫌が悪くなるの…。
 思わず破片を拾う手を止めてしまった。
「…い、言わないと駄目ですか…?」
「……」
 そして無言だし…。
 あの恥ずかしいセリフを言うのぉ…。
 遥はさらに俯きポソポソっと言った。
「…耳元で……大人になるて、手伝いをしてやる…と…」
 最後のほうはか細い声で言った。
 シーン…。
「……」
 は、反応なし!?
「…そんなことか?」
 橘はなんだという顔をしている。
「――っ! だ、だから言ったじゃないですかっ! お二人にしたらたいしたことじゃないってっ!」
 遥はカーッと顔が熱くなった。
 ガチャガチャっと、破片を掻き集めて流しの中に入れると、掃除機を取りに廊下へ出た。
 まったく、これじゃいちいち赤面してるあたしがバカみたいじゃない…。しかも言葉の色香を読み取ってしまったせいでさらに動揺したなんて言えない…。
 思い出したくないことまで思い出す…。
 廊下に立ったまま項垂れる遥。
 橘は、なぜ遥が怒ったのかイマイチよくわかっていなかった。
「……」
 あの言葉でそんなに動揺するものなのか?
 てっきりもっと何かされたのかと思っていた橘は拍子抜けしていた。
 アイツのことだからもっと直接的な言葉を言ったと思っていた。アイツにしては回りくどい言い方だな。
 などと考えていた。
 なかなか戻って来ないので、ドアを開けると遥の呟きが聞こえた。
「…戻りたくないな…、まぁ、あたしが慣れればいいんだけど…」
 それはごく小さな声だったが周りに雑音がないせいでハッキリと聞こえた。
「……」
 今の言葉で少なからずショックを受けている自分に驚く橘だった。
「…ぁ、」
 掃除機を持ち、振り向いたら橘がドア越しにいたことに驚いた。
 …おかしいな、さっきはともかく、気配が掴めないなんて…。
 …もしかして…。
「掃除機かけたら戻りますから。車の中で待っててください」
「…わかった」

 車へ戻った橘は終始無言だった。
「何かあったのですか? やはり十夜ですか?」
 少し沈んでいるように見えたので、榊は声をかけた。
「ああ。だが、たいした言葉じゃなかったんだがな…。そんなことかと言ったら怒ったな」
「…宮城さんはなんて?」
「二人にしたらたいしたことじゃないから」
「十夜はなんと?」
「耳元で、大人になる手伝いをしてやろうか」
「………」
 榊は苦笑をするしかなかった。
 これでは宮城さんが可哀相だ。
「二代目…、宮城さんはまだ17歳なんですよ。お二人のように異性に慣れてないのは当然かと。だからといって十夜の言った意味がわからないはずはありません」
 今までの女性と同じに考えてしまっては宮城さんは振り向きませんよ、とは心の中で榊は溜息を吐いた。
「…そうか」

その日の夕食時に、橘がしばらくの間送り迎えをさせると言ってきた。
 もちろん遥は断ったが、案の定拒否された。
「皆さんお忙しいのに、私のことでお手を煩わせるわけにはいきません」
「誰が煩わしいと言った? 気にとめていなかったらそもそも連れてこない。わかったら素直に言うことを聞いておけ」
「……」
 食事は前と同じようになぜか二人でとっている。向かい合わせで。
 返事をするかわりに、遥は黙々と箸をすすめた。
 この人が何を考えているのかやっぱりわからない。前みたいに冷たかったらよかったのに…。今はそうじゃないから困る。

 翌日は一日バイトなのでホッとするかと思ったら、行きと帰りも橘が一緒だったために、お店の人達に質問攻めにあった。
 そして月曜日の朝も一緒で、車から降りたときの生徒たちの視線が痛かった。
 思いっきり門の前に停めるんだもんなぁ榊さん。
「よぉ〜!」
 はぁ〜っと机に突っ伏すと、陽気な声がした。
「とんでもない奴と登校してきたな〜」
 顔を見なくても分かった、
「…笑い事じゃないんだけどねぇ」
 そう、威は笑っていたのである。面白いネタを見つけたかのように。
 遥の前の席に座るとニヤリと笑った。
「まぁ、ある意味笑い事じゃないけどな。どういう成り行きよ?」
「…ごめん、こればっかりは事が片付くまで言えない、巻き込むわけにはいかないから」
「もしかしてアラン絡みか?」
 遥は頷く。
「けっこう厄介なのか?」
「どうかなぁ」
 理事長はアランたちの目的を知ってるだろうけど、どうするか・・・。
 早く終わらせて家に帰りたいし。
 本当は、私を受け入れてくれている人にはやりたくないんだけどな、あれは。
 まぁ、なんにせよ、あとで理事長のとこへ行ってみるか。
 ピンポンパンポーン。
 放送のチャイムが鳴った。
「ん? 誰かの呼び出しか?」
「珍しいね」
『二年E組 宮城遥さん、事務室前までお越しください』
 なんだろうと事務室へ行ったらそのまま拉致られるとは…。

 遥が拉致られて、学校内に仕掛けられた爆弾を刑事たちが処理し、榊が橘へ連絡し捜索している頃、遥は殺し屋と話していた。
「ねぇ殺し屋さん、あなたの雇い主は負けるわよ」
 窓辺に座り、外を眺めながら遥は言った。
 殺し屋はドアに寄りかかっている。
「…随分な自信だな。その根拠は?」
「私を学校で連れ去った時点で負け、もう警察が動いてるわ。それに…」
「それに?」
「あと一回、力を使ったら暴走するから」
 掌を殺し屋にかざして、ニッコリ笑う遥。
 少しずつ、制御が出来なくなっていることは気付いてた、始まりは自宅で橘の気配が分からなかったとき。ピアスを長時間外していたせい。本当はピアス無しでコントロールできるようにならないといけないんだけど今は難しい。
「あんたの力がどれほどのものかは知らないが、暴走したらどうなる?」
 殺し屋は面白そうに言った。
「まぁ、頑張って抑えますけど、たぶんこの階は吹っ飛びますかね」
 ニッコリと笑った。
 殺し屋は肩を竦めた。
「警察も動いてますし、ここに来るのは時間の問題だし。負ける戦に加担してもあなたには何の得もないですよ」
「…考えておこう」
「…ねぇ殺し屋さん」
「なんだ」
「学校に仕掛けた物は解除してくれたんでしょうね?」
「さぁな、おれは仕掛けただけだ。スイッチならアイツが持っている」
「…スイッチ入れたとしたらどれくらいで爆発?」
「さぁな、もうしてるかもな」
 ってことは撤去できたってことか…な?。
 もっと確証が欲しいな。
 すると、遥はある「気」を感じ取った。
「……」
 誰の気だろ?
 知っている気だ。しかも一つじゃない。近づいてくる。
 正体を確かめようとしたとき、ドアがノックされた。
「リハルト、ボスがお呼びだ。それと女もな」
 その後、気の正体はアラン達と橘であることがわかり、力を使って敵を押さえた遥は、予想通り力の制御が利かなくなっていた。
 それなのに、橘は車の中で遥を抱き締め笑ったのだ。気を失い目を覚ましたときは橘の家で不思議なことに力が落ち着いていた。疑問符を浮かべながらも遥はバイトへ行った。もちろん橘の静止を振り切って。
 バイトが終わり片付けをしていたとき、オーナーからに呼ばれた。
「オーナー、どうしました?」
「はい。今月分」
 そう言って渡されたのは給与明細書が入った封筒だった。
 あ、そうか。
「ありがとうございます!」
 このごたごたですっかり忘れていた、今日がお給料日だってこと。
 ニコニコして封筒を受け取ると、ヒョイっとオーナーが紙袋を差し出した。
「そしてこれがいつもの余り物」
「ありがとうございます! 助かります」
 再びニコニコしながら受け取り、フロアへ戻ると、他のスタッフ達がニヤニヤしていた。
 ……。
「宮城さんっ、お迎えが来てるわよ〜」
 遥は苦笑するしかなかった。
 あとはアランに鍵の在り処を伝えればいいだけで、事件は片付いたから今日は迎えはいいって言ったのに…。
 女性スタッフの様子からして、橘が来ていることは間違いない。
 すっかり恋人だと思われている。何度違うと言ってもこの現状じゃ信用できないよねぇ。
 遥は溜息を吐き、挨拶をして店を出た。
 車に乗ると、やっぱり橘がいた。
「…迎えに来てくださるのはありがたいんですけど…、もう事件も終わりましたし、自宅へ戻ろうと思います」
 橘さんも忙しい身ですからと遥は言った。
「俺のことは気にするな。たいした手間じゃない。それよりも、しばらくうちにいたらどうだ?」
「……え?」
 一瞬何を言われたのかわからなかったが、橘の目は本気だった。
「食費も浮く、登下校には送り迎えをさせるから楽だぞ」
「…えーと、事件は終わりましたよね?」
「ああ」
「もう命を狙われることはないですよね?」
「ああ」
「じゃあ、家に戻っても安全ですよね?」
「そうだな」
「…だったらもう橘さんのところにいる理由がないですよ…ね?」
「…そうだな」
 橘はタバコに火をつける。
「…じゃあ…」
 なんでそんなことを言うのか、と言外に言った。
 タバコに目を落としていた橘が不意に遥を見つめた。
 ―ドキ…。
「……」
 な、なんだ今のドキって…。
 不可思議な反応に遥は困惑する。
 今までだって何度も目を合わせてきたのに、なんで今更…。
 …違う…、ドキっとしたのはこの目に私が―
「理由が必要か?」
「…はい」
「お前を気に入ってるからだ」
 橘はさも当然だろ?という顔で言った。
 いつもだったらすぐに言い返せたはずなのに、遥はすぐに言葉が出てこなかった。
 みるみるうちに顔が赤くなっていく。
「そ、そんなの理由になりません!」
 手の甲を口に当て言った。
 この遥の反応を見て、榊はおやっとちょっと驚く。いつもと反応が違うと。それは橘も同じだったようで、遥をじっと見た。
 遥は目を逸らした。
「どうした? いつもの威勢はどうした」
 フッと橘は笑った。
 その笑みにさえドキっとさせられる。
「な、なんでもありません、とにかく帰りますから!」
 プイっと横を向いて言った。
 いつもと違う遥に疑問を持つが、そんなことはどうでもよくなった。よくわからないが、こういう姿の彼女も可愛いと思う自分がいた。
 しばらく退屈せずにすみそうだと橘は目を瞑り笑った。そして言った。
「わかった。だが夕飯はうちで食べろ」
「……」
 今は力の暴走も治まり橘が何を考えてるのか読めないが、なんだか機嫌が良いのはわかる。
 それに、出会ったときよりも纏う空気が和らいでいた。それはいいことなんだけど…。なによりこの人の目にー
「いいな?」
 真っ直ぐ遥を見つめ橘は言った。
「……」
 この人の目に、私が映っていたから…。
 だから私は…自然と頷いていた…。

 でも、まさかあんな噂が広まるなんて、このときは思ってもいなかった。





おわり